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移動大学はこう創る!(武蔵野市)「武蔵野ふるさと歴史館」の授業【亜細亜大学「街づくり未来塾」】

 「街づくり未来塾」の座学を大学に近い「武蔵野ふるさと歴史館」に移動して試みた。いわば「移動大学の実験」だ。事前に講座を構成する14の学生チームがまちに飛び出し、興味をもって取材する先一覧を持って館をたずねた。そこで当日話をしてくださる副参事と打ち合わせ、歴史館の成り立ちといった通り一遍の講話でなく、学生の取材先を盛り込みつつ、吉祥寺、三鷹、武蔵境の生成と個性について話してくださいとお願いする。考古学の素養と市文化事業団職員としてのキャリアをもつ副参事はきさくな方で、おもしろいと乗ってくださる。「歴史」といえば思い浮かぶのは古代からかわらない武蔵野の大地。その土地のうえで生まれ、消え、また生まれて過去から未来に続くお店や組織や学校。その時間の流れのなかでの一瞬である「今」、みんなが惹かれて取材する「場」の価値を考える基盤をつくるのが授業の目的。結論として前半は副参事のまちの成り立ちから今の三駅生成圏の個性のお話と学生との質疑応答。後半は縄文時代からの展示を観ながら学芸員のこれまたおもしろい「石器時代から江戸時代」の武蔵野の話を聞かせて頂けることになった。

 当日学んだ経験は学生のレポートにみずみずしい。「古代、世界のどこでも言えるのは水のある場所にヒトは暮すということ。井の頭の湧水に縄文人が住むようになった」「今の武蔵野市の原型は江戸時代にこの地に移り住んだ吉祥寺村、西窪(久保)村、境村、関前村の四つの村からできあがった。吉祥寺村は現在の文京区から、西(窪)久保村は港区から、境村と関前村も周辺村落から移ってきた人によって開かれた」と行政区の成り立ちが。

 そして、吉祥寺と武蔵境の生成と個性の違いへと続く。「現在吉祥寺は住みやすいまちNO.1に選ばれているが、それはカフェ等のちょっとした休憩のできるスペースができ、その後西洋、北欧文化が入ってきて公園やベンチなどお金を払わなくても休憩できる場所ができたり多文化的発展も見られるようになった。一方で周辺には多くの漫画家が住んでいるが住民の全員がアニメがいいとするわけではなく、いわゆるオタク文化の消滅が起こる。そこから“どんなひとでも受け入れられる透明性のあるまち”“目的のない気軽に行けるまち”となっていった。」

 「武蔵境はマンションが増え、また3.11以降都心から移り住む人も増えて人口が増加しており、小学生も増えて活気のあるまちになっている。」「JRが高架になり、南と北で行き来が容易にできるようになり、住民に人気の高い武蔵野プレイスを中心に変わっていくのではないか」。

 後半学芸員の先生はまず、この地域の古地図を広げてくれた。それを観た学生は「大学の横の道も江戸時代につくられたもので、今でも私たちは昔を歩いていて、昔のなかで生きているという言葉がとても印象的だった」「歴史からわかるまちづくりとその過去と今との関係の強さと深さを感じました」「境には森や畑が残り、少し不便があるが自然とともに生きていくという少し不便もいいのではないかという言葉に共感しました」「変わっていくものが変わらないものがあるなかで、歴史のなかから本当の便利とはなにかをよく理解し、これからの未来を考えていく必要がある」。

 ここまで学生を導いてくださった館副参事と学芸員の先生に感謝している。そして賢い学生たちに驚いている。座学であっても教室を離れて実施すると学習効果は三倍になる。

[2015.11.01]